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淡々生活(目標又は希望)
by electrostatics
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- ラボは流石にだいぶん静かになっているなぁ。ワシも年内は本日までくらい。と云う処かなぁと云う感じに。なのでなんとなく柄にも無く今年の反省でもつれづれに書いてみようかなぁ。
- と云っても結局日本には「年末」が2回あるわなぁ。仕事中心で行くなら,年度末にこそ行く年を振り返り来る年に思いをいたすべきかとも思われる。プライベート中心なら,年齢が一つ重なる前後がその一年を総括するきっかけと云うか切れメの感じもするな。そうなると,毎年3度も「反省」を強いられると云うコトになるのでつか。それじゃ反省し過ぎだヨ。orz。
- そうは云っても何故かこの,年末年始の空気感は,一つの切れ目感をヒトに強制するものがある。主として関東で暮らして来た僕にとっては,この冷たくて乾燥した空気が,その「条件反射的反省的気分」のトリガになっているような気がする。街なかやメディアがクリスマスから年末年始を煽っているのも,つまり日本中で揃って年末年始になっていると云うのも切れ目感を増感しているだろう。年度末年度始めは寧ろ,後始末とか〆切とか準備とか開始とかで本当に慌ただしい。ので,暦上の年末年始と会計年度の切れ目がズレているのはその点でもある意味合理的なのかしら,とも思わないでもないわよね。これで元旦開けて「入学式」とかもし云われたらアタマ痛いヨ。
- サテ。結局毎度このようにしてなんかしら前提的前置きor言い訳,から書き起こしたがるのが悪いクセであり冗長の所以なのである。これもまた反省点なのか。orz。
- 当blog運営につきましては,今年はナニヤラ妙に読者が増えているような気のする一年でありました。毎度御閲覧賜っております諸賢には御礼申し上げる次第です。一体誰?と云う疑問もあるが。このような個人的公開ずっこけ日記形式のblogは世上少なくはないのでしょうし,ある意味ではこれは結局直接の知人へ向けての公開近況報告で,と云うよりそれに過ぎず,従って直接の知人以外の読者は存在し得ないハズなのだが。実際の処,どうなっているのかな。そして読者が直接の知人であれば,近況報告を見てくれて「ありがとう」と礼を申し上げるようなスジなのかどうか。とか考え始めると,これまた例に依ってぐるぐると負のスパイラルへ落ち込んでしまうワケでございます。orz。
- そのようにしてウェッブ公開近況報告(日記)をフリーのblogサイトへ移したアタリから,実は「読書報告」を全く書けずにいるのも気にはなっているのであった。この間も結構,本は読んでおるのです。もとより所詮,いわゆる活字中毒ですから,読まずに過ごせるワケがない。しかしまたその一方,最近の読書は「逃避」傾向が強くて。勿論「〆切」からの逃避でございます。なので,読了直後はなんか慌ただしくて「報告」を書いているヒマ或は気持ちの余裕がない。と。しかしまぁ「報告」つったって「読んだ。面白かった」「つまらなかった」くらいしか書かない(書けない)ワケですし,メモ替わりに書名ダケでも書ときゃ良かったのに。と思わないでもない。ただ,〆切逃避である場合,関係者が当該公開近況報告を見ていないとも限らないワケでして(例えば,いや,ヤメとこ)。「アノヤロー。こっちの仕事ほっぽらかしておいてこんなクソ下らねー本を読んでやがったのか」とか云う事態になるのを恐れておると云うワケ。相変わらず非情に気が弱いワケなのである。orz。
- 仕事的側面では。なんだかとにかくひたすらにどんどんと忙しくなっている感じ。いや実際,何故だか授業は増えてるし。外回りに巻き込まれる機会も明確に増えている。正直あっぷあっぷでツライっす。
- 授業方面は,諸事情あるにせよ,とにかくソレで給料を貰っておるのだからにして,できる限りではともかくがんばれる処までがんばるしかない。
- 外の仕事は,イロイロな専門家の話しが聞け,世界の広がりに触れるコトができると云う点で正直非常に楽しい。面倒も勿論多いし,編集委員なんかは一銭にもならないからそもそもそれは「仕事」と呼べるのか,と云うのはあるにせよ,得るものも多いのも事実である。
- そう思って気付いてみると,あるいは見回してみると,そのような仕事の巻き込まれ方にしても,いろいろな文脈での自分の置かれているポジション,のようなモノが,これまで自分で思っていたのより一段上の段階にタッチダウンしつつあるんだなぁと云うコトに気付かされる。いや,一概に「上」が「良い」とか云うような単純な話しではなく。そのような「立ち位置」「役割分担」になっているんだなぁと云うコトである。
- 良いか悪いかと云えば実は正直な処,決して望ましくはない。個人的好みで云えばこの10年くらいのポジションで「研究」をしていたかったのである。上記したように,「世界が広がる」のはとても楽しいコトであるし,「良い」コトなのだ。でも,その分結局,落ち着いて考えたり(単にサボってのんびりしていたり),自分で作業したりできる時間が無くなる。
- 研究の方は相変わらず進展しない。あちこちに首を突っ込んでみたりもしているけれども本質的な部分ではどうなのか。
- いや,そうだった。今年は「新装置」を作ったのだった。まだ解析結果がはっきりしておらない段階であまり先走ったコトを書くのも僕の趣味ではないけれども,コレはなかなか良さそうである。これまで20年の長きに渡ってやって来た「1個粒子の衝突帯電実験」と云う実験的手法の(遅々とした)進歩の文脈では究極的なのではないか。いや,何だって最新版は当面的究極版と云うコトなんですが。アハハ。
- 情報量が増えてるし,何と云っても,前の装置で解ったコトの裏打ち,ナゾだったコトの解答と統一的解釈が得られている。ように,生データを見た感じでは思われる。のである。何れにせよきちんとした解析を俟つ必要はあるけど。
- このセンで感度がもう100倍上がれば云うコトないんですが。これについても延々検討はして来たものの,やっぱりどうにもこればっかりは難しいんだよナァ。チクそー。
- 個人的文脈での今年は。いや,上記もみんな個人的だけど。
- どうも体力的に。orz。
- 「老眼」が発覚したので相当に落ち込んでおるのではないか。orz。
- ついでに弱気が祟って。オツムが非常に弱まって来ているのではないかと云う不安に苛まれておる今日この頃。なのでございます。oTZ。
- なんだかなー。どうもアタマの回転が弱まっている気がするんだよな。議論していたりとか学会や講演会で話しを聞いていても,なかなかこう,シャープにガツンと云う実感がない。
- いや,実体は,そもそもからして元来的本質的に全く大したコトなくて,自分が「期待している程」には「できていない」と云うコトに毎度気付いておるに過ぎず,それを最近になって改めてトシノセイにし始めた,とまぁつまり単に言い訳の種類が変わった。と云うコトに過ぎないのカモ知れないんだけどサ。
- 学会発表でのディスカッションなんかでは,そう云うヒラメキ的アタマの冴え,みたいなのでは全くなくて,これまでの個人的蓄積とか,全体的パースペクティブに対する含蓄に依拠している自分に気付く。ことがある。もとより,上の方で書いたように,年齢的に「そう云うポジションだ」と云う事態の一つの側面を云っているのに過ぎないけど。
- 以上そのような総括として,どうやらつまり,いろいろな意味で,総合的かつ感傷的に考えるに,今年から来年にかけてアタリが,自分の個人史の中で割と切れメの良い年にあたるのではないかと思われるワケで,つまりそれって,そろそろ人生のピークですヨって云うコトなのではないかしらん。ドウナノヨ。オレ様。oTZ。
- サテ。そうして来年は。
- 4月から1年間,在外研究で英国Leeds大学へ行かせてもらえるコトになった。上記したような,この1年と云うより寧ろ最近数年を巡る総括的感想に現れる,弱気・感傷・不安・希望を踏んで何処へ出るのか出られるのか。
by electrostatics
| 2006-12-29 14:51
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